障害者とモータースポーツ
本当の意味でリハビリが終わったんだ
昔むかしの子供の頃、自動車関係の会社で働いていた叔父がS30(良い子は調べてね~)に乗っていて、当時は改造車なんて見たこともなかった時代ですが、そのS30が改造されていて、そのマフラーの排気音に影響されたか、排気ガスにやられたかは定かではないが、小さい頃から車やバイクが大好きでした。
自宅を出家し働きながらもサーキット通いは続き、生活の中心となっていました。雨の日は仕事が休みの時があったので、誰もいないサーキットを一人練習に励む日々でした。
受傷してからは日々リハビリに励み、身の回りのことが自立し、免許を取りなおし、職業リハビリを経て社会復帰しました。しかし私の中では、まだリハビリは終わっていませんでした。受傷前に楽しんでいたレーシングカート等、自分で働いてモータースポーツを再開することで、私の中で真の意味でのリハビリが終わった、社会復帰が出来たと自分を評価できました。
ツインバスケットなどの障害者スポーツも楽しみましたが、障害者、健常者が一緒に競いあえるこのモータースポーツは私には最高に楽しかったのです。車にさえ乗ってしまえば、サーキット上は完全なイコールコンディションで、抜きつ抜かれつのバトルは誰が相手であっても関係ありません。一緒に楽しむといえば釣りもそうですね。
受傷前の自分に追いついた
至福の時
最初は個人でサーキットと交渉したりいろいろと大変でしたが、ここで運命の出会いがありました。『モータースポーツバリアフリー』との出会いです。
このチームのおかげで、夢の実現と同時に私の中でリハビリを終わらせることが出来ました。
マッドハウスさんが主催している「K4-GP」に参加するため、初めての海外、マレーシアのセパンサーキットでの24時間レースや夏の富士スピードウェイ10時間耐久など、充実した時間を過ごせました。
葛藤の時
20代の頃から右肩に痛みがあり、年々痛みがひどくなっていき、ついにレースに参加することが難しくなってきました。
人は生きている限り、衰えは避けて通れませんが、じわじわと迫ってくる恐怖は実感しています。リハビリを経て、これでも沢山のことが出来るようになったのに、また奪われていくのかと...切ない想いと同時にできるだけ抵抗していこうと決めています。抵抗といっても無理をするのではなく、長く続けられるものと楽しみ方を工夫していこうと思っています。
過去の自分は目標から思い出に変わった
新たな自分を探しながら
一つ一つステップを踏んでいき、少しづつ自分の背中が近づいてくる。自立生活を送り、仕事を得て社会復帰し、所得を得て納税し、得た収入によって余暇を過ごした。
目標に掲げていた自分に10年もかかってしまったけれど、自分自身に追いついてしまった今、過去の自分は思い出に変わりつつありました。もしかしたら今の自分のほうが充実した時間を過ごせているかもしれません。
今、一つひとつの行動が意味を持ち、価値を感じながら過ごせています。もし過去の自分だったらいろいろな挑戦は容易だった分、噛み締めながら過ごせていなかったかもしれません。
もう過去の自分と比べる必要はなく、ここからは新しい自分が新たな道を模索しながら進んでいくのみです。
今となっては二足歩行をしていた頃を思い出し、懐かしむことくらいとなりました。
必ず終わりはやってくる
引き際の時
特にレースでは、無理をすることは他車への脅威になってしまいます。自分だけが楽しければという考えは持てません。仲間や家族に大変な迷惑と心配をかけることになりかねないうえ、相手の仲間や家族も同じように苦しませてしまうでしょう。自分の行動に責任を持てないなら、その楽しみは捨てたほうがよいと思っています。
このような考えから、私はモータースポーツはやめることにしました。チームの好意で、籍だけは置いてもらっているので、レースには応援に行きたいですね。
受傷から真の意味での社会復帰までを、辛いリハビリを乗り越えるための精神的な支柱となったこの「モータースポーツ」を出来ない悲しさは確かにありますが、私が得意な都合の良い考え方、思考を方向転換して考えれば、まだまだ出来る事は他にもたくさんある!ので、しばらくはハッピーライフは続きそうです。
これでもかって位に機能が落ちてしまったら、行動で楽しむことからコントロールで楽しむ事へシフトしようと思っています。
ゲームやシュミュレーターでさえすぐに墜落してしまいますが、こっそり狙っている物があります。次はドローンパイロットか!?( ゚∀゚)アハハ